マガンの飛来/宮島沼

マガン/t.tanikawa

美唄市の西の端、石狩川近くに位置する宮島沼。周囲には田園地帯が広がり、水がピンと張られた水田は移りゆく空の色を映し、秋には黄金色の稲穂が一帯を彩ります。沼の名は、隣接地で農場を営んだ宮島佐次郎氏に由来します。歩くごとにふかふかと体が沈み、時には腰辺りまでぬかるんでしまうような泥炭地に農地を拓くことの、途方もない苦労が偲ばれます。

宮島沼/t.tanikawa

宮島沼は水面積が30ヘクタールほどの小さな沼ですが、毎年秋と春には5万羽を超えるマガンを始めとした様々な水鳥が渡りの中継地として飛来します。マガンは額の白い毛とお腹の黒い縞模様が特徴的(学名のAnser albifronsは「額の白い雁」の意)な渡り鳥で、夏をロシア極東の湿地帯で過ごし、8月半ばには遥か4,000km先の越冬地を目指して群れごとに編隊を組んで南下、雪解けに合わせてまた北上します。長い旅です。群れはペア(夫婦)と子どもを基本とした家族がいくつも集まることで形成され、常に行動を共にします。スウェーデンの作家セルマ・ラーゲルレーヴの『ニルスのふしぎな旅』をお読みになった方は、ガンの強固な仲間意識が印象に残っているかもしれません。少年ニルスがガチョウの背に乗ってガンの群れの一員としてスウェーデンを縦断するこの物語は、子どもたちに自国の歴史・地理・自然を理解してもらおうと工夫を凝らして書かれたものです。教師中心の教育から子ども中心の教育へと、理想と意志をもって変わろうとした時代を象徴する作品でもあります。

雪山とマガン/t.tanikawa

日の出前の薄明りの中、大きな翼で力強い羽音を響かせながらマガンが一斉に宮島沼を飛び立っていく姿は圧巻です。天敵の登場や天候により、小さな群れごとにパラパラと飛び立つ日もあります。向かう先は水田で、落ち籾(落ち穂)や畔草をついばみ、休息をはさみ、ふたたび採食し、やがて西の空が夕日で赤く染まる頃に宮島沼にねぐら入りします。戻ってきた群れは沼の上空で編隊を崩し、木の葉のようにひらひらと回転しながら着水します。歌川広重の浮世絵「月に雁」も、この落雁の光景を描いたものです。宮島沼水鳥・湿地センターでは初心者にも丁寧に観察のポイントやマナーを教えてくれるので、初めての水鳥観察でも安心して臨めます。マガンはとても臆病な鳥なので、特に早朝に話し声や物音を立てる人、懐中電灯やスマートフォンのライトを点ける人がいると、驚いてストレスを受けてしまいます。最新の情報や注意事項などを、事前にセンターのウェブサイトfacebookページで確認してから向かうことをお勧めします。

マガンのねぐらだち/t.tanikawa

人々の暮らしが営まれる場であり、また湿地がないと生きられない動植物の命を守る場である宮島沼ですが、困った問題も起きています。水田の減少に伴いマガンが好んで食べていた落ち籾が減り、代わりに生育途中の小麦の芽が食べられてしまうこと。農地や農道への侵入や路上駐車により、周囲に暮らす人々の生活が妨げられること。環境変動や枯れた水草の堆積、農業排水の流入等により、沼の水質や水深が変化していること。過去には水鳥の鉛中毒が問題になったこともありました。

マガンによる小麦の食害/t.tanikawa

宮島沼は、ラムサール条約に基づく「国際的に重要な湿地に係る登録簿」に登録されています。この条約は水鳥だけを守ろうとするものではなく、登録湿地において「地域の人々の生業や生活とバランスのとれた保全を進める」ことが提唱されています(参考:環境省・ラムサール条約と条約湿地)。「ミヤトモ」という宮島沼の自然と地域を応援する活動もあり、この貴重な環境を未来に残していくために何ができるかを考え行動する輪が広がっています。子どもたちが隊員となって沼の保全活動を行う「マガレンジャー」は、この地で暮らしているからこそできる将来の糧となるような学びを、楽しみながら経験しているように思います。知るほどに深い世界、宮島沼と湿地。美唄のもつ固有の価値のひとつです。

水鳥と人々/t.tanikawa

〔写真〕本ページ内の写真は、ミヤトモの谷川毅さんがご提供くださいました。ありがとうございました。

Photo: Takeshi TANIKAWA